極真空手と道場の礎を築いた総裁と会長
STAFF
道場を支えてきた総裁と会長をご紹介いたします。極真空手の創始者であり、極真カラテの歴史に重要な役割を果たした大山倍達総裁や、極真拳武會を設立して空手の精神を多くの道場生に伝えた初代会長廣重毅は、極真空手界における不朽の功績を残しました。現在では、その教えを引き継ぐ現会長の金子雅弘の指導の下、世界中の道場生が育ち、世界大会での輝かしい成績を収めております。
※本サイトは修正不可のGoogle翻訳を使用しているため、誤った言葉がある場合がございます。あらかじめご了承ください。
極真空手創始者

大山 倍達 総裁
Masutatsu Oyama
- 生年月日
- 1923年6月4日生まれ
- 経歴
- 多くの武道家と交流し、また世界各国を巡りさまざまな格闘技を研究、空手の指導を行い、直接打撃制の空手 (極真空手-フルコンタクト空手) の創始者である。
15歳で船越義珍先生の門下生となり、その後、拓殖大学、早稲田大学で学ぶ。
1948年4月より清澄山にて1年8ヵ月の山籠り修行を敢行。
1952年 (昭和27年) にプロ柔道の遠藤幸吉四段と渡米、1年間ほど滞在して全米各地で空手のデモンストレーションを行いながら、プロレスラーやプロボクサーと対決。
帰国後、牛を素手で倒し (合計47頭、うち4頭は即死)、その映像は映画『猛牛と戦う空手』1954年 (昭和29年) として公開された。
池袋のバレエスタジオ跡の大山道場を経て、1964年 (昭和39年) 国際空手道連盟極真会館を設立し、数々の名だたる弟子・名選手を輩出している。
多くのフルコンタクト系各流派を生み出す元ともなり、1975年には第1回全世界空手道選手権大会を開催して、全世界が極真空手ブームとなった。
1994年4月26日急逝。享年70歳。
初代会長

廣重 毅
Tsuyoshi Hiroshige
- 生年月日
- 1947年11月1日生まれ
- 出身地
- 福岡県北九州市
- 段位
- 九段
- 経歴
- 幼い頃から精神的な世界に目覚め、その延長として武道を志すようになる。
高校時代はハンドボール選手として活躍。1966年本田技研入社。 その後大山倍達総裁の内弟子になるまで3社でサラリーマン生活を送り、アルジェリアへの海外勤務も経験する。
1973年6月、25歳で極真会館総本部入門。その後、総本部内弟子となる。
28歳で全日本初出場遅いデビューながら、第9回大会から11大会まで3年連続の入賞を果たし、世界大会へも出場。
城南支部長となってからは、独自の理論に基づく稽古法と生徒の個性を伸ばす指導法で3人の世界チャンピオンと10人もの全日本チャンピオン、全日本ウェイト制チャンピオンを育てたことで、極真史上に残る名指導者として、名を馳せている。
平成15年より極真空手道連盟 極真館の副館長に就任後、組織の方向性の違いから2017年2月新たに極真武道空手連盟 極真拳武會を設立。
2018年4月18日逝去。享年70歳。
- Wikipedia参照
- 詳しくはこちら
会長

金子 雅弘
Masahiro Kaneko
- 生年月日
- 1964年生まれ
- 出身地
- 東京都大田区
- 経歴
- 極真の名伯楽と言われ数多くのチャンピオンを育て上げた廣重初代会長の片腕として重役を担ってきた。生徒指導面と選手育成面でも定評があり、世界大会組手部門日本代表選手のコーチに任命。
極真会館時代、あの不動の王者と言われた数見肇選手の先輩でもある。
そして、世界大会4位の成績を修め、全日本でも常に上位入賞を果たしている藤井脩祐選手、全日本大会4連覇の藤井将貴選手なども育て上げ、その指導及び選手育成の噂は、広く海外まで広がり、2001年のポーランド支部を皮切りに、南アフリカ、ウクライナ、イラン、ロシア、ブルガリア、アメリカ、スイス、アルメニア、イタリア、カナダ、チリ、韓国など各国から指導要請を受け、年に何度かは必ず指導のため海外へ赴き、まさに世界を股にかけ活躍している。
JFKO全日本フルコンタクト空手道連盟 理事
WFKO全世界フルコンタクト空手道連盟 理事
- 段位
- 八段
最高師範

藤原 賢治
Kenji Fujiwara
- 段位
- 八段
- 経歴
- 1975年12月20日極真会館に入門、大山総裁の内弟子になる。
1977年の第9回全日本極真大会に出場。
約3年間の内弟子を終え1978年7月19日総裁と同行でアメリカのハワイに行きへ、
3日後北米の最高責任者である大山茂最高師範と同行でコネクチカット州
他アラバマ、シカゴ、コネクチカット、の極真空手大会に出場、重量級で全大会で優勝。
そして最高師範の内弟子になる。1979年11月の第2回極真世界大会に日本代表として出場する。
North American Open Karate Tournament 1980, Alabama 優勝
Mas Oyama First North American Open Karate Tournament 1980, Alabama Tournament 1979, Chicago Tournament 1980, 優勝
副会長

古賀 裕和
Hirokazu Koga
- 段位
- 六段
- 経歴
- 中学生の時に極真会館城南支部(廣重毅支部長)蒲田道場に入門する。
一時、挫折して道場を離れるも、あらためて復帰して本格的に修行を重ね1994年に黒帯(初段)を取得する。
前組織に所属していた時代には選手としても活躍し、多くの大会で優勝、入賞し、世界大会代表にも選出される。
指導者になってからも叩き上げの中堅選手に少年部では全日本チャンピオンも排出し、指導者としても実績を残す。
主な戦績・経歴
第一回 全日本ウエイト制大会 重量級 優勝
第一回 全日本大会 (無差別)準優勝
第三回 全日本ウエイト制大会 中量級 優勝
第一回 全世界空手道大会(モスクワ) 代表選手 主将
第五回 全日本ウエイト制大会 軽重量級 準優勝
2016全日本大会(無差別) 準優勝
主席師範

堺 貞夫
Sadao Sakai
- 経歴
- 1979年(昭和54年)5月に極真会館城南支部に入門。
身長157センチメートル、体重60キログラムという体格ながら、そのディフェンスの技術は非常に高く、
緑健児や八巻建志といった同じ支部に所属していた選手も、その実力や稽古に対する姿勢を絶賛していた。
1985年(昭和60年)に無差別級のFTV杯東北大会で優勝
同年第17回全日本空手道選手権大会でも実力を発揮し、大活躍する。
極真空手の創始者、大山倍達総裁は堺の動きを
「武道の真髄である“円の動き”を巧みに使っていた。また、受けが一番うまかった。
防御すなわち攻撃だという事が如実に現れていた。彼の活躍は、体が小さい道場生にも希望の光をもたらした点でも素晴らしい」
と、述べられた。
現在は極真武道空手連盟極真拳武會 理事