多くの武道家と交流し、また世界各国を巡りさまざまな格闘技を研究、空手の指導を行い、直接打撃制の空手(極真空手-フルコンタクト空手)の創始者である。
15歳で船越義珍先生の門下生となり、その後、拓殖大学、早稲田大学で学ぶ。
1948年4月より清澄山にて1年8ヵ月の山籠り修行を敢行。
1952年(昭和27年)にプロ柔道の遠藤幸吉四段と渡米、1年間ほど滞在して全米各地で空手のデモンストレーションを行いながら、プロレスラーやプロボクサーと対決。
帰国後、牛を素手で倒し(合計47頭、うち4頭は即死)、その映像は映画『猛牛と戦う空手』1954年(昭和29年)として公開された。
池袋のバレエスタジオ跡の大山道場を経て、1964年(昭和39年)国際空手道連盟極真会館を設立し、数々の名だたる弟子・名選手を輩出している。
多くのフルコンタクト系各流派を生み出す元ともなり、1975年には第1回全世界空手道選手権大会を開催して、全世界が極真空手ブームとなった。
1994年4月26日急逝。享年70。
24歳の時、極真空手、大山倍達総裁と出会う。28歳で大会出場という遅いデビューながら、第9回全日本大会7位、第10回大会4位、第11回大会5位という成績を残す。
城南支部長となってからは、独自の理論に基づく稽古法と選手の個性を伸ばす指導法で名選手を続々と輩出。世界チャンピオンや全日本チャンピオンを最も多く生み出し、極真の日本代表チーム監督を何度も務め、極真史上に残る名伯楽として知られる。
2017年、極真武道空手連盟 極真拳武會設立。
全日本4連覇を果たした直弟子・藤井将貴を初め、数々のチャンピオンを育て上げてきた
1982年、城南支部廣重道場に入門。極真会館時代、不動の王者と言われた数見肇の先輩に当たる。生徒指導と選手育成面でも定評があり、全日本でも常に上位入賞を果たしている藤井脩祐、藤井将貴らを育て上げた。現在は、後進の指導に当たる傍ら、世界各国からの指導要請を受け海外へ赴き活躍している。
1993年 大井町道場を開設
2003年 極真館城南品川支部 支部長に就任
2016年 12月、極真館を退会
2017年 2月、極真館を自主退会した廣重毅が、新たに設立した
「一般社団法人 極真武道空手連盟 極真拳武會」に合流し、副会長を務める。
13歳の時に、城南川崎支部蒲田道場入門。2000年に廣重会長の内弟子となる。
極真館最多のタイトルホルダーであり、オールラウンドに戦える王者。
高校卒業後上京、入門。廣重会長の内弟子となる。
全日本大会で4度の優勝を果たす。
体重55kg 、身長168cm。高校卒業後に極真会館東京城南川崎支部溝口道場入門。
非凡なステップワークとスピードで軽量級チャンピオンに輝く。また、軽量級王者として重量級にも挑戦し、準優勝を果たす。武器は多彩な足技。
古流柔術、武器術等も修行中。
中学2年より極真空手を始める。金子師範の英才教育を受ける。中学を卒業と同時にオーストラリアに留学。留学中はオーストラリアで大会に出場し、15歳で一般の部、中量級で優勝するなど非凡な才能を開花させる。その後、19歳で日本代表に初選出。以来、世界大会で最年少ながら準決勝まで勝ち進むなど、数多くの輝かしい実績を残す。
2009年12月から強豪ひしめくロシア・モスクワへ渡って長期滞在の武者修行中。
対戦相手を葬り去るための、極真拳を追求している。
日本のフルコンタクト空手の空手選手。
極真独自の「真剣勝負ルール」でも圧倒的な強さを誇る絶対王者。
顔面殴打からスタンディングでのあらゆる攻撃を認める実戦空手では、ラグビーで鍛え上げたパワーを生かした戦い方と、重厚な体から繰り出される多彩な技で対戦相手を制す。
天才的な合わせ技を武器としている。また、下段回し蹴りの威力が強く、対戦相手を1発で倒す力を持っている。身長182cm、体重100kg。
2009年 全極真世界ウエイト制空手道選手権大会 重量級 日本代表
2010年 極真館 全日本空手道選手権重量級で優勝
2012年 極真館全日本空手道選手権大会89kg超級で優勝
2013年 KWU極真ワールドユニオン主催、全極真世界大会95kg超級準優勝
2016年11月 極真館 全日本空手道選手権大会 4連覇を果たす。